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東京地方裁判所 昭和32年(ワ)9574号 判決

原告 細淵ナツ 外一名

被告 国

国代理人 横山茂晴 外二名

主文

原告等の各請求を棄却する。

訴訟費用は、原告等の負担とする。

事実

原告等訴訟代理人は、「被告は、原告等に対し、各自、一、五五七、七五八円、及びこれに対する昭和三一年一二月六日から、支払ずみに至るまで、年五分の金員の支払をせよ。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として、

一、訴外永田次保(以下次保という、当時二七年)は、数年前から、いわゆるやくざの仲間に入り、東京都新宿区二丁目三〇番地訴外田中松太郎の子分となり、昭和三一年九月二六日頃から、同都武蔵野市吉祥寺二、一二八番地石屋一家の訴外納谷富蔵方に寄宿し、同家の飯炊き等をしていたものであるが、同年一一月二日午前一時二〇分頃、同市吉祥寺二、一一五番地先路上において、訴外下岡敏泰と、些細のことから喧嘩を始め、殴り合いとなり、附近のサイダー瓶を二、三回地面にたたきつけ、その割れ瓶で、同人の頭部を殴打して、同人に、全治数十日間を要する頭部挫創の傷害を負わせた。その為次保は、同年同月一二日、東京地方検察庁八王子支部から起訴せられ、傷害被告事件の被告人として、同年同月一六日、同都八王子市子安町八王子医療刑務所(以下単に刑務所という)に勾留、翌一七日、一舎第一〇房(雑居監房)に収容された。

訴外細淵信司(以下信司という。当時四〇年)は、同年四月一四日納谷富蔵夫婦を、前記居宅で、猟銃で射撃して重傷を負わせ、同年五月四日、同じく東京地方検察庁八王子支部から、殺人未遂被告事件で起訴せられ、その被告人として、同年五月一〇日、刑務所に勾留、同年同月一二日、一舎第九房(雑居監房)に収容され、次保と共に、同刑務所典獄西田捷美以下係刑務所員の監視を受けていた。

次保は、同年同月一七日、同刑務所内で、信司と会つた時に、同人から「何をしてきた。もつと気のきいたことをして入つて来い。」等と冷笑され、かつ納谷富蔵夫婦の病状を尋ねる態度が、いかにも嘲笑的であつたことに憤慨し、ひそかに同人に仕返しをしようとして、その機会を窺つていた。

同年同月一九日午前一〇時頃、同人と同時に、入浴を許されることになつたので、第一〇房の窓硝子が破損して、先の尖つた長さ十数糎、巾約九糎の三角形となつたガラス破片が、紙とのりで貼り合わされているのを取外し、それで同人を突き刺し、傷害を加えて、意趣を晴らそうと考えたが、にわかに意を決しかね、入浴を躊躇していた。すると、信司から「風呂に入らないで、どうするんだ。」等と、恰も子分に対するような態度で云われたので、遂に同人を傷つけようと決意し、右ガラス破片一個を、窓から取外して手拭等に包んで、パンツの内に隠し、同刑務所浴場内脱衣場に至り、そこでそれを衣類と共にかくしておき、同人とともに入浴したが、同人よりさきに、脱衣場に戻り、なお決行をためらつているうち、同人が浴槽から上つて、悠然と身体をふいている姿をみて、憤激を覚え、脱衣の内にかくしておいた、右ガラス破片を右手にもち、いきなり、同人の傍に近づき、左下腹部に、これを突き刺し、左側腹部に、上下径約四糎、創洞は、内稍々下方に向い、皮下及び筋肉組織を略々正鋭に切截して、腹腔内に入り、ついで結腸及び小腸を刺通し、更に左腎臓を切截し、第三腰椎々間軟骨左側に達して止む深さ約一二、三糎の刺創を負わせた。

信司は、直ちに同刑務所内で、医師の手当を受けたけれども、右負傷及びそれが原因となつて併発した外傷性化膿性腹膜炎に因り、同年一二月五日、同刑務所内において、死亡した。

二、およそ、刑務所に勤務する公務員は、刑務所には、いついかなる犯罪性格者が収容されてくるかも知れないのであるから、刑務所内において、被拘禁者達の間で暴行、傷害等の事故が発生することを未然に防止し、不幸にして、これら事故発生の場合には、それによる災害の範囲を、最少限度に止めるために、被拘禁者等の挙動に対して、終始万全の監視と注意を、続けなければならないとともに、特に被拘禁者等の所持品につき、常に厳重な検査と監視を行うことにより、いやしくも事故発生の際、凶器となるような物品を、完全に取上げるように、努めなければならない義務があり、かくして、一片の護身用具すら取上げられてしまつた、通常の被拘禁者のために、その生命、身体の安全を、守つてやらなければならない、責任を負つているものであることは、いうまでもない。

三(A)  これを本件事故の場合について考えると、次保が、前記傷害を加えるため、凶器として使用したガラス破片は、同人が数日前から、あらかじめ、前記刑務所第一舎第一〇房のガラス窓を破壊して、ひそかに所持していたものであるから、刑務所の典獄西田捷美、及び同人の指揮の下に、被拘禁者等に対する、監視の職務を担当していた公務員において、もし刑務所内、及び被拘禁者等の監視を怠らなかつたならば、第一〇房のガラス窓破壊の発見は、当時たやすくできていた筈であり、もし、これを発見したならば、発見されないガラス破片の行方を、被拘禁者の身体検査と、所持品捜査によつてこれを追究するという、わずかな注意を払うことにより、本件事故の凶器となつた、ガラス破片は、容易に発見できていた筈である。

(B)  さらに、房内の窓ガラスが破損した場合に、紙をはつただけで、放置しておくことは、ガラス破片といえども、いついかなる動機から、凶器として、利用されないとも限らないのであるから、刑務所側の過失であつたというべきである。被告の予算の不足が、もし弁解として許されねばならぬ場合においては、被告としては、すくなくとも、破損したガラス窓の部分は、破片を一つ残らず取片づけて、その後に、紙を全面的にはりつけておくべきであつた。しかるに、紙は、単にガラス破片をつなぎ合わせる目的で、はられたものでなく、こわれた窓ガラスを、全面的におおいかくす目的ではられていた。

(C)  被告は、被拘禁者の入浴に際しては、その身体、衣類を検査する義務がないと主張するが、被告が援用する、監獄法施行規則第四六条は、前条第四五条が、少くとも毎日一回以上の、監房の検査義務を命じているのを受けて、特に凶器が持込まれる機会の多い、還房の際の身体検査義務を加重しただけにすぎず、被告主張のように、同条の規定を理由に、入浴の際の、身体衣類検査義務が免除されていると主張することは、許されない。次保は、前記犯行当日、入浴のため、房前に整列するにあたつて、一旦房外に出たが、再び房内に戻り、前記ガラス破片をとり出し、これを手拭にくるんで、パンツの中にかくして、浴場に至つたのである。およそ、長さ十数糎、巾約九糎の三角形のガラス破片を、手拭にくるんで、パンツのなかにかくしたとすれば、著しく不格好な、異常な体裁を呈するのは、必然であり、係看守二見広が、これに気がつかず、特に次保の身体を検査しなかつたのは、公務員として、重大な過失があつたといわなければならない。

(D)  被告は、看守金子静雄が、当時浴場内は、湯気が立こめて、視界が不良であつたため、次保の行動を認めることができなかつたと主張するが、果してそうであるとすれば、同看守が浴場中央に立つていたことは、とりもなおさず、形式だけの監守、すなわち慢然たる佇立にとどまり、監視の義務を怠つていたといわざるを得ない。犯行当時、浴場内は、湯気が立こめていなかつたのであるが、それにもかかわらず、同看守が次保の行動を認めることができなかつたことは、刑務所側の過失である。

(E)  つぎに、信司は、やくざの親分で、その兄弟分に当る、納谷富蔵に対し、殺人未遂罪を犯したのであるから、納谷富蔵側から、復仇がなされることは、予想されたことであり、さらに、次保に対する傷害被告事件の起訴状(同人の住所として、前記「納谷富蔵方」が明記されている)の謄本は、昭和三一年一一月一七日、刑務所に送達されている。かような事実関係のもとにおいては、同刑務所としては、直ちに次保が、納谷富蔵の子分であることに気づき、適当な処置をとるべきであつたのにかかわらず、不注意にも、これを看過し、次保を、信司の入つていた九房雑居監房と、容易に通話のできる、廊下を隔てて反対側の一〇房(雑居監房)に収容してしまい、あまつさえ、両名を、同時に入浴させるという、不注意を重ねたことこそ、次保の凶行の重大な原因となつたものである。

結局、本件事故は、刑務所側の(A)ないし(E)の各重大な過失が相競合することによつて、発生したものである。

四(一)  原告細淵ナツは、信司の妻、同細淵信子は、同人の長女であるが、原告両名は、同人の死亡によつて、次の損害を蒙つた。同人は、死亡当時、満四〇歳五カ月の健康な男子であつたから、昭和三〇年二月二六日厚生大臣官房統計調査部発表の第九回生命表によれば、残存余命年数二九、四三年を有していたものであり、また死亡前、植木職として、月平均三万円の収入を得ていたから、この収入を得るに必要な生活費として、右収入額の五割を、それから控除し、これに残存余命年数を乗じ、それから、年五分の中間利息を、ホフマン式方法(その詳細は、原告等代理人の昭和三二年六月二〇日付準備書面添付の別紙表参照)により、控除して算出される三、一七三、二七六円が、同人の死亡によつて、同人が蒙つた財産上の損害額である。原告細淵ナツがその三分の一原告細淵信子と、長男である訴外細淵伸の両名が各三分の一ずつ相続した。その一人当りの損害賠償請求権は、右損害額の三分の一、一、〇五七、七五八円である。

(二)  原告細淵ナツは、大正八年六月二〇日、北海道に出生し、両親の膝下で、小学校卒業後も、引継いて家事に従事していたが、満一八歳の時上京し、約四年後の昭和一七年春に、信司と知り合い、同棲するにいたつた。当時、同人には、すでに入籍別居中であつた妻叶ていがいたため、同原告の婚姻届は、昭和三一年七月二日になされたが、事実上の夫婦関係は、昭和一七年春から、終始変らない愛情のもとに、一貫して続けられていた。同原告、及びその両親、兄弟は、同原告の幸福な結婚生活が続けられることに、心から感謝していたものであるところ、全く予期しない同人の死に遭遇することになつたので、たちまち、生活の資を絶たれることになつたばかりでなく、生涯の伴侶を永久に失うことになつた精神的損害は、全く金銭によつては償いえないが、慰藉料として五〇万円を請求する。

(三)  原告細淵信子は、昭和一六年一二月一日、同人の長女として出生し、たまたま、実母叶ていと信司との結婚生活が円満にゆかなくなつたため、両名は昭和一七年以後、別居生活を続けることとなり、同原告は、出生後間もなく、実母ていとともに、郷里山形市に赴き、同地において成長し、義務教育を終えた後は、理容師の資格を得ようとして、現に修業中のものである、父信司の生存中は、同原告は、一年又は二年おき位に上京して、同人の顔をみることにより、また、同人は、同原告に、養育費の送金を欠かしたことがないのは勿論、同原告の成長に応じて、始終、玩具衣類を送りつゞけることによつて、右両名間には、美わしい親子の愛情が常に維持されて来た。同原告は、父信司の死に遭遇することとなつたので、その精神的損害は、金銭によつて到底償いえないが、慰藉料として、五〇万円を請求する。

五、前記損害は、国の公権力を行使する公務員が、その職務を行うについて、重大な過失によつて、原告等に蒙らしめたものであつて、被告は国家賠償法第一条により、原告等に対し、それぞれ、前記損害額の合計一、五五七、七五八円及びこれに対する、信司の死亡の翌日である昭和三一年一二月六日から、支払ずみに至る迄、民法所定の年五分の損害金を支払うべき義務があるから原告等は被告に対し、その支払を求める為本訴各請求に及んだと述べ、

被告指定代理人は、主文同旨の判決を求め、

一、原告主張の第一項はこれを認める。なお、本件事故の経過を補足すれば、次のとおりである。

(1)  永田次保の収監状況

同人は、昭和三一年一一月一六日、傷害被告事件の被告人として、八王子医療刑務所三舎独房二室に収容され、翌一七日、一舎第一〇房(雑居監房)に転房した。

(2)  次保が本件犯行に及んだ動機

同人は、かつて信司から、やくざ仲間の恩義をうけたことがあり、入所前から、旧知の間柄であつた。同人が本件凶行に及んだのは、自分が納谷富蔵から受けた恩義に報いるというよりは、信司の自分に対する態度が、嘲笑的であつたのを憤慨し、その仕返をするのが主たる動機であつた。

(3)  次保がガラス破片を入手した状況

本件の凶器として使用されたガラス破片は、一舎第一〇房の外部に面したガラス窓の破片であるが、この窓ガラスは、同人が入房する以前から、破損しており、紙をはつて応急の修理を加えてあつたが、窓の開閉に際して、紙からはがれたのを、同人が看守の眼にふれぬよう、もとのところに差込んでおいたものである。同人は犯行当日、入浴のため、房前に整列するにあたつて、前記ガラス破片をとりだして、これを手拭にくるんでパンツの中にかくして、入浴場に赴いたものである。

(4)  加害時の状況

犯行当日の入浴にあたつて、看守金子静雄及び二見広が、その実施を担当し、金子看守は、浴場内にあつて勤務し、二見看守は、被拘禁者の房と、浴場間の往復について、連行の任にあたつた。二見看守は、次保、信司らとともに入浴する、合計一八名(第八房ないし第一〇房収容者)の着衣を脱し、シヤツとパンツだけにして、房前に整列させて、一応の捜検をし、浴場まで連行したのであるが、次保が第一〇房からガラス破片を持ち出したことは、廊下にいたため、気がつかず、また、同人が入浴の機会を利用して、信司に対し、危害を加えるような挙措は、少しもなかつたので、特に同人の身体を検査することは、しなかつた。そのため、同人が、ガラス片を所持していることを知らないまま、浴場へ連行した。

同人は、信司とともに入浴し、同人の背中を流しながら、話をかわしたが、その際の同人の態度が、自分を愚弄するように感じたため、遂に害意を押えきれず、浴場出口附近で、体を拭いていた同人に対し、脱衣場からガラス破片を取りだして、本件凶行に及んだのである。金子看守は、浴場中央附近で入浴者を監視していたが、当時浴場内は、湯気が立ちこめて、監視が利かなかつたため、次保の行動を認めることができなかつた。

二、第二項は、これを争う。刑務所職員は、予め房内を検査しガラス破片の紛失を発見し、紛失したガラス破片の所持者を、探索すべき義務があるという原告等の主張は、当を得ない。被拘禁者の身体、衣類の検査に関しては、監獄法施行規則第四六条に、工場または監外から、還房するに際して、身体、衣類の検査をすべき旨、定められているが、入浴にあたつての検査については、何の規定もないばかりか、入浴にあたつて、凶器を携帯するというようなことは、通常の事態ではないのであるから、担当の二見看守が、入浴の実施にあたり、特に房内を検査し、あるいは、次保の身体、衣類を検査しなかつたのは、当然である。また、廊下にいて、入浴者の整列人員の点検にあたつていた同看守が、次保が第一〇房内で、ガラス破片を取り出すことに、気がつかなかつたのは、已むを得ないところである。なお、同人が信司に対し、傷害を加える意図を有していると思料されれば、あるいは、次保と信司とを、同時に入浴させることとを差し控えるとか、または次保について、特にその身体は、衣類を検査すべきであつたかもしれないが、そのようなことを察知し得る、特段の事情は全く認められなかつたのであるから、二見看守が、そのような処置をとらなかつたことに、責むべき点はない。しかして、浴場内での次保の凶行は、これを止めることのできない、突発的事故であつたのであるから、結局、刑務所職員には何の過失もなく、原告等の主張は失当である。

三、(A)の事実中、次保が、刑務所第一舎第一〇房のガラス窓を破壊して、ひそかにこれを所持していたこと、刑務所の典獄西田捷美及びその輩下の職員に、原告等の過失があつたことを否認する。

(B)(C)(D)につき、刑務所に、原告等主張の過失があつたことを、争う。次保がガラス破片を入手した状況加害時の状況は、前記(3) (4) の通りである。次保は、入浴の為、一旦房外に出たが、再び房内に戻つたことはなかつた。

(E)の事実中、次保に対する傷害被告事件の原告等主張のような、同人の住所が、記載された起訴状謄本が、昭和三一年一一月一七日、刑務所に送達され、次保が収容された第一〇房が、信司の収容された第九房と、廊下を隔てた反対側の房であつたことはいずれも認めるけれども、その他の主張を、争う。

四、第四項の事実中、昭和三一年七月二日、信司と原告細淵ナツとの婚姻届がなされたことを認める。その他の身分関係は、知らない。その余の事実及び第五項の事実はこれを争うと述べ、

省略〈省略〉

理由

原告等主張の一の事実は、被告の自白したところである。

そして証人小山田源吾同二見広同金子静雄同永田次保同原口明隆の各証言によれば、被告が(1) 次保の収監状況、(2) 同人が本件犯行に及んだ動機、(3) 同人がガラス破片を入手した状況、(4) 加害時の状況として、主張する各事実を、認めることができる。

原告等が、被告に過失ありと主張する、各事由につき、遂次判断する。

原告は、三、(A)(B)に於て、八王子医療刑務所の典獄西田捷美及び同人の指揮下にある職員には次保が信司に傷害を加えるにつき、使用したガラス破片の処置につき、過失があつた。即ち、右職員には第一監房のガラス窓の破壊を発見し、発見せられないガラス破片があつた場合は、その所在を探索する義務があり、もし、刑務所の予算が足りないときは、破片を一つ残らず取片ずけ、その後に、紙を全面的にはりつけておくべき義務があつたに拘らず、その義務を尽さなかつたことに、右職員の過失があると主張する。しかしながら、刑務所内のガラス窓が、破壊されたことを発見することは、容易であつても、その破片がどこにあるか、細部にわたつて、これを追求することは、たとえ、その破片が、本件のように、凶器として利用されることがあろうとも、刑務所の職員に、不可能を要求することである。証人原口明隆の証言によれば前記ガラスの破片は、次保によつて隠されていたものではなく、第一〇房の収容者が、ガラス窓に、こわされた侭、紙とのりで貼り合わせていたのであるから、原告等が刑務所の職員が、ガラスの破片の所在を追求しなかつたことに、過失があると主張するのは、当を得ていない。

又、原告等は、被告に、ガラス窓を修繕する予算がないならば、ガラス窓の破片を、一つ残らず、取片ずけ、その後に、紙を全面的にはりつける義務があるというけれども、当裁判所は刑務所に、かような義務があるとは、考えない。破壊したガラス窓からガラス破片を取去り、その後に紙をはつたならば、紙が風雨にあつて、容易に破れ、房内に雨風が吹きこむことは、当然予想せられることであるから、右のような処置は、収容者の休養に留意しなければならない刑務所の採るべき処置ではない。証人小山田源吾の証言によれば、刑務所は、被告の予算の許す限りに於て、収容者を保護する為、可及的速かに、又多量に、破壊したガラス窓の修繕に当つていたこと殊に尖鋭なガラス破片が、紙によつて貼り合わされていることを発見したときは、至急に、これを入換えていたことを、認めることができる。原告等のこの点に関する主張は、採用することができない。

原告等は、三、(C)に於て、前記刑務所職員が犯行当日、入浴前、次保の身体を検査して、前記ガラスの破片を発見しなかつたことは、重大な過失であると主張する。当裁判所に顕著な監獄法第一四条によれば、「新ニ入監スル者アルトキハ、其ノ身体及ビ衣類ノ検査ヲ為ス可シ。在監中ノ者ニ付キ、必要ト認ムルトキ、亦同ジ」と規定され、監獄法施行規則第四五条は「典獄ハ、監獄官吏ヲシテ、少クトモ毎日一回、監房ノ検査ヲ為サシムベシ。」第四六条は「典獄ハ、監獄官吏ヲシテ、工場又ハ監外ヨリ還房スル、在監者ノ身体及び表類ノ検査ヲ、為サシムベシ」と規定してい る。刑務所職員は、新入監者及び在監者が、刑務所外から還房する際に、その身体、衣類を検査し、凶器その他危険物があれば、その所持を許していない筈であり、証人小山田源吾の証言によれば、刑務所に於ては、この検査を厳重に施行して来たこと、次保が入監するに際しても、それが施行されたことが認められるから、同人が、前記日時、入浴するに際しては、改めて、その身体衣類を検査する義務がなかつたと謂わなければならない。本件のように、刑務所の浴場内に於て、入浴者が、他の入浴者を殺傷することを予想することは、通常、健全な常識を有する人に、期待し、要求し得られないところである。況んや、加害者の状況は、前段認定のように、看守二見広が、第九房と第一〇房の間の廊下に、入浴者を整列せしめ、一応の捜検をした時、特に次保の身体を検査することはしなかつたが、収容者一八名は、すべてシヤツとパンツだけで立ち、手拭と石けんしか手に持つていなかつたのであるし、成立に争のない乙第三号証の記載、及び証人永田次保の証言によれば、同人が外しておいたガラス破片は、何人にも発見されぬよう、巧みに隠したというのであるから、次保がパンツ内にガラス破片を隠して持つていたことは、通常人の注意を以て、到底予想し得るところではなかつたと、いわざるを得ない。

原告等は、三、(D)に於て、刑務所浴場内に於て、看守金子静雄がその中央に漫然とたち形式的な監視しかしていなかつたことは監視の義務を怠つていたと主張するけれども、右浴場検証の結果、証人二見広同金子静雄同原口明隆同永田次保の各証言によれば、刑務所では、毎週月曜及び金曜に、二〇名以上の収容者を入浴せしめていたが、共犯者同志は入浴させなかつたこと、看守二見広は、当日、浴場入口に於て、入浴者の検身を為したこと、右浴場の内部は、東西に八米、南北に七、一米の広さがあり、南北に長方形を為す、二個の浴槽が、東西に並び、その南側中央に、入浴者約二〇名を監視する為、看守が立つ、高さ約一二糎の担当台があり、看守金子静雄は、当日浴場内に水蒸気がたちこめて居たので、担当台に立たず、二個の浴槽の中間に立つて、監視にあたつていたのであるが、その位置から、被害者信司が入浴を終つて浴場北側に並んだ蛇口の前で、身体を拭いていた箇所迄は、ほゞ四米あり、その間には、数名の入浴者が交々、身体を洗つて居り、しかも室内は、可成水蒸気がたちこめていたこと、同看守は、次保(当時何者か識別できなかつた)が、脱衣場入口に行つたのを認め、新入者がよく入口を出口と間違えるので、注意しようと思つていると、間もなく次保は浴場内に戻つてきたのを認め、その直後次保、信司が殴り合つたような気配を認めたこと、一方次保は、信司の背中を流す内、信司から再び、入所の理由をきかれたり、同人が、納谷富蔵の妻をも射撃し、同人がちんばになるような傷害をうけた事等について、話を交わす内、最早、同人との仲直りはできないと考え、同人に対し、「あんたと私は、敵同志だ」というと、同人は「そんな事は、今更言わなくても、判つているじやないか」とにらんだので、次保は「あゝそうですか」と言つて、宣戦布告をした気になつた。そして、水をかぶり、身体を拭き、誰よりも先に、脱衣室に戻つたが、信司が、右蛇口の前で、からくりもんもんのある腹や背中を、悠々と拭いているのを見て、憤激を覚え(次保は、それがのずらに見え、グツと来たと言つている)、矢庭に、脱衣内にかくした、ガラス破片を手拭に巻いて、蛇口前の信司に近ずき、その右肩を抑え、「野郎、覚悟しろ」と、左脇腹深く、ガラス破片を差込んだ。その時、周囲に居た入浴者は、誰一人として、それに気づく者がなかつたことが認められる。それ故、看守金子静雄が、漫然と立ち、監視の義務を果さなかつた、ということはできない。単に、浴場内の喧嘩口論、或は手桶を以ての殴り合い等は、予想し得、かつこれを阻止すべきことは、看守に要求し得るが、犯行直前迄、信司の背中を流していた次保に、どうして同人が、凶器をかくし持ち、信司を殺傷するということを、予想し、警戒し得るであろうか。原告等の主張は、看守金子静雄に、不可能を強いるものと謂わなければならない。証人原口明隆の証言によれば、信司は、受傷後刑務所病院室内に於て、係官取調官に対し自分が次保から、かような傷害をうけることは、夢想だにしなかつたこと、と述べたことが認められる。

原告等は、三、(E)に於て、刑務所が、次保の住所として、納谷富蔵方と明記されている、その起訴状謄本の送達をうけながら、同人に対し殺人未遂罪を犯した、信司の収容されている第九房の、反対側の第一〇房に、次保を収容したことは、その過失であると主張する。しかしながら監獄法によれば、第一七条に「刑事被告人ニシテ、被告事件ノ相関連スルモノハ、互ニ其ノ監房ヲ別異シ、監房外に於テモ、ソノ交通ヲ遮断ス」と規定せられているに止まり、次保と信司のような関係のある被告人を、隔絶した監房に、収容すべき旨を規定した、条文はない。刑務所内に収容された被告人等が、博徒の仲間で、仇敵視し合つた仲であるとしても、その事から直ちに、同人等が、自制心を欠いた者として、殺傷し合うことを予定し、相互に隔離するということは、望ましい事であるかも知れないが、刑務所に、さような義務があるということはできない。前記のように、刑事被告人等が房内に入るときは、身体、衣類の検査をうけているのであるからその後、被告人等が、人を殺傷するに足りる、凶器を所持していないことは、高度の確実さを以て、予定し得るところである。それ故、偶刑務所が、前記両者を、反対の房に収容したこと自体を以て、刑務所に過失ありと謂うことはできない。刑務所が、収容者のすべてを自制心を欠いた、精神薄弱者として処遇することは単に、刑務所の能率に、甚大な支障を来すのみならず、収容者を犯罪者扱いするものであつて、それは寧ろ、彼等の反抗を招く結果すら招来し兼ねないと言うことは、過言であろうか。

のみならず証人小山田源吾同原口明隆の各証言によれば、次保が、昭和三一年一一月一六日、前記傷害被告事件の被告人として、入監するに際し、刑務所保安課調査係沢井勝武が、次保に対し、どこの身内かと尋ねたところ、同人は、同年九月、北海道釧路刑務所を出所して上京した後は、新宿の方に厄介になつていると答え、納谷富蔵の子分で、同人方に居たとは言わなかつたこと。(この認定に反する部分の、証人永田次保の証言は、当裁判所の採用しないところである。)刑務所は、信司が、昭和三一年五月一〇日、収容された際、東京地方検察庁八王子支部、及び所轄警察署から、納谷一家の者からの復讐を防ぐよう、特別の注意があつたので、刑務所として、同人が東京地方検察庁八王子支部に、刑事被告人としての出廷、及びその往復につき、監督部長、及び五、六名の看守をつけ、同人の身辺の保護に万全の措置を講じ、更に、当時独居監房に居た信司に対し、刑務所内に、納谷一家の者が居るかを問うたところ、同人は、これを否定し、もし今後さような者が入所したら、必ず申出るから、雑居監房に移してしてくれという、要望を述べたので、独房監房から、前記第九房に移したが、同人からはその後、さような者が入つたという、申出は、なかつたことが認められる。偶次保の起訴状の謄本に、「納谷富蔵方」なる記載があつたとしても、その事から、富蔵が、信司の殺人未遂被告事件の被害者であることに想到し、富蔵方の止宿人として、信司の入所後、約六カ月を経て、入所して来た次保を、信可から隔離しなければならぬ義務が、刑務所にあるという、原告等の主張は、これを採用することができない。

換言すれば、次保のような、短気な、凶暴なやくざ者は、刑務所内の運動場に於て、信司と言葉を交わすことにより、同人に、激しい怒りを感じることもあり得ようし、その場合、傍らに落ちている石塊、或はガラスの破片、又はガラス窓をいきなり壊し、破片を作つて(同人が起訴された、前記傷害事件の犯罪事実は、同人がサイダー瓶を、二、三回地面にたゝきつけ、その割れ瓶で、通行人に頭部挫傷を負わせたものであることを、想起すべきである)信司を殺傷することも、十分考え得られるのである。信司が、次保に、鼻先であしらうような態度を以て臨むことは、凶器の存在が全く予想せられないと言つてよい、浴場内ばかりとは、限らないのである。

これを要するに、当裁判所は、刑務所及びその職員には、原告等主張の過失は、全くなかつたと判断する。してみれば、その過失を前提とする、原告等の本訴各請求は、その他の争点につき、判断する迄もなく、失当であるから、すべてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条、第九三条第一項本文を適用して、主文の通り判決する。

(裁判官 鉅鹿義明 林田益太郎 吉川清)

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